4 様々な問題解決の理論

04.中途養育の困難とは

全体的な概念における形態をゲシュタルトといいます。

ゲシュタルト心理学(Gestalt Psychologie)は知覚や認知問題の根底にある従来の暗黙の諸仮定を批判し、新たな観点の展開に努めました。
ヴェルトハイマー(Wertheimer, 1923)は、まとまりや群化の決定要因をゲシュタルト要因とし、全体を簡潔な形として「よりよい」体制化に向かう傾向を、プレグナンツの法則(law of pragnanz)としました。レヴィン(K.levin, 1947)はゲシュタルト心理学を人間個人だけでなく集団行動にも応用しました。
集団内における個人の行動は、集団のエネルギー場、すなわち集団がもつ性質やどんな成員がいるのかといったことなどによって影響を受けると考え、これを集団力学(group dynamics)としました。

ダルメシアン ゲシュタルト
Gregory R (1970) “The intelligent eye” McGraw-Hill, New York (Photographer: RC James)
※この絵の中に犬を見出すことは出来ましたでしょうか?

未経験者から見た中途養育者は集団力学的に「存在しているが見えていない存在」ということになるのかもしれません。
この考え方からは中途養育当事者になって初めて、概念として見えてくるのであるから、未経験者が経験者の困難を想像することが先ず難しいといえそうです。

クオリア(qualia)という概念があります。
ルイス(1929)が『精神と世界の秩序』において「与件(the given)の識別可能な質的特徴」であり、「普遍者の一種である」と記述したものです。
クオリアは主観的な性質のものであり「客観的な物体の性質とは区別する必要がある」といいます。

茂木(2001)は「私たち人間の感覚の中にあふれている様々な質感」をクオリアとしています。「私たちの心の中には、数量化出来ない、微妙で切実なクオリアで満ちている」と。「数や量で表現できるような物質の性質に比較すると、クオリアは曖昧なもののように思われるが、私たちの心の中にどのようなクオリアが生じるかという対応原理は、実際には極めて厳密なものである」と考えられているようです。茂木によれば、現在私たちが主観的に体験するあらゆる心的表象は、脳内のニューロン活動に伴って生じる「随伴現象」(epiphenomenon)であるという説が有力で、感覚的クオリア(外界に関するある程度安定した表現)と志向的クオリア(表象の要素が指し示すものとして心の中に表象されるもの)に分けられるといいます。

ここでいう「仮想」とは、「現実」と対になる概念である。視覚、聴覚、触覚といった感覚のモダリティは明確に区別することが出来るが、志向的クオリアにおいては感覚と運動を有機的に結びつける、統合処理の役割を担っていると考えられています。例えば、赤い花が右に動いているという視覚的イメージを認識する際には意識せず統合されたイメージを持つが、大脳皮質の領域はそれぞれ離れた領域に見出されることが判っています。これらの素材としての事象を「結びつけ」ることにより、「解釈」が起こるが、それはあくまでも「仮想」であり、現実ではない。反応選択性により起こる「錯視」等は仮想を証明する現象といえるでしょう。

チェッカーシャドウ錯視
チェッカーシャドウ錯視 イリュージョンフォーラムで確認→

茂木(2004)は「脳と仮想」の中で、ボウルビィの安全基地、他社との関り、愛する人の魂など、様々な概念を「仮想」として定義しています。むしろ「概念」は「仮想」であるといっても良いようにも思えます。

リゾラッティ(2007)らは、実験中のサルが、ヒトがコーヒーカップを持つのを見ている時に自分が持つのと同じ脳部位が反応するところから、ミラーニューロンというメカニズムの存在を提唱しました。ミラーメカニズムにあるのは「同調」「模範」であり、それは「共感」のメカニズムでもあると考えられています。ラマチャンドランらは自閉症のフリスとバロン=コーエンによる「心の理論」(theory of mind,他者の動きを推し測る能力)の欠如ではうまく説明出来ない、「一見無関係に見えるたくさんの兆候が一緒に表れる理由」を脳機能のメカニズムから解明しようと試みました。しかし、ミラーニューロン説では自閉症の症状である体を揺らすなど反復動作や、アイコンタクトの回避、知覚過敏、ある特定の音に対する強い嫌悪感などを説明できるわけではなく、これらの二次的症状を説明するためにラマチャンドランらは「突出風景理論(salience landscape theory)」-「人間は視覚や聴覚、嗅覚などの情報を脳の感覚野で処理した後に扁桃体に送り、既存の知識などと照合し、その人が感情的にどう反応すべきかを決定し、最終的に自律神経が体に行動を起こす準備をさせる」という仮説を立てました。ラマチャンドランらは、自閉症の子供はこの突出風景を描くプロセスに歪みがあるのではないかと考えたのです。この「突出風景理論」は、「現実」を「仮想」として処理するシステムが脳内に存在するという考え方であり、前出の「クオリア」と似ています。

大平(2010)は「最近になって、扁桃体は偏見や対人判断にも関係していることがわかってきた」といっています。エイドルフスら(adilphs,tranel, & damasio, 1998)によると扁桃体を損傷した患者は否定的な表情に対しても好意的判断を下すといいますし、バウマイスターとブッシュマン(baumeister,&bushman,2008)は、感情は個人と環境の関係(良いまたは悪い)を知らせるフィードバックシステムであるといいます。クロアら(clore,gasper,&garvin,2001)が提唱するアフェクト・アズ・インフォメーション仮説(affect-as^information hypothesis)によると、人はものごとを判断しようとするとき「それについて自分はどのように感じるか」を自問自答する。つまり感情は自己と世界の関係を意味づけ、世界との関り方を規定していると考えられるとしています。ラッセルとフェルドマン=バレット(russell&feldman-barrett, 1999)によると(快-不快次元と覚醒-睡眠次元の二次元で定義出来る神経生物学的状態を定義する)コア・アフェクト(core affect)が、感情現象の核心だといいます。コア・アフェクトは個人の生命活動の表れであり、またそれは個人と他者、個人と事象、個人と物理的環境などの関係によって、変動します。さらに人はコア・アフェクトを最適な状態に制御するために、社会的環境や物理的環境を選択したり、特定のアクションを実行したり、よりよい社会的環境や物理的環境を創出します。

人々の様々な日常行動は(それが意図的であれ無意識的であれ)コア・アフェクトを制御する目的で選択・実行されているということであり、これはシャクターとシンガー(schachter, & singer, 1962)の情動二要因説(情動的刺激が引き起こす生理的覚醒が認知の働きによりラベルづけし、情動として経験することで、それに見合った行動をするというメカニズム)にも通じる考え方といえるでしょう。

余語(2010)は、「深い感情を中心にした心理障害を示す人々に対する介入は、コア・アフェクトのはたらきに障害が認められる場合と、コア・アフェクトは正常に作動しているが概念処理や原因帰属など認知プロセスが機能不全に陥っている場合では異なるものにすべきであろう」としています。

ここで「コア・アフェクトは正常に作動しているが概念処理や原因帰属など認知プロセスが機能不全に陥っている場合」について考えてみましょう。
「概念処理システム」にはコア(既定)となるシステムが正常に働いており、その上に経験的に作られた(仮想の)認知プロセスがあります。

情動的刺激を照合し、アウトプットするための前提として、コアとなるシステムと認知システムの間に整合性・互換性があることが求められるでしょう。しかしここで認知による「仮想」処理に問題が生じているとしたら、それは認知バイアス(cognitive bias)としてアウトプットされます。ヒューリスティックな仮定はここで否定され、再度コアシステムを探るが、既存の原因帰属などの概念処理が基底に辿りつくことを阻害してしまいます。この阻害された概念は、停止し、再稼動することはないが、自らの仮想システムをなんらかの形で繋ぐことが出来、都合よく解釈が通るなら、再び働き出すことは可能となるかもしれません。

中途で養育者が交替する際に「実親がいない場合、誰かが実親の代わりとして認識されることによって止まっていた養育システムが動き出すことは可能」という仮説は成り立つであろうし、それを試してみたくなるのも、さほど不自然なことではないでしょう。

 

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