さいたま小4義父による殺害事件における「本当の親じゃない」件について

多様化する家族に関る認知の問題

2018年9月18日未明、さいたま市見沼区の教職員用集合住宅において、この住宅に住む小学4年生の進藤遼佑くん(9歳)が殺害されました。

埼玉県警は義理の父である進藤悠介容疑者(32)を逮捕、事情聴取で殺害動機を「本当の親じゃないと言われ」「腹が立った」と伝えているようです。

今回、この事件に関するネット上の記事に集まるコメントを見て、「中途養育者サポートネット」を暫定的ながらも管理している身として、個人的にも見解を述べておく必要があると思いました。

 

さいたま小4男子殺害事件とは?

最初の部分と重複しますが、2018年9月18日に、さいたま市見沼区大矢の集合住宅に住む小学4年生、進藤遼佑くん(9歳)が殺害されました。

遼佑くんは教員の母親(42)と、義理の父である進藤悠介容疑者(32)の3人暮らしで、事件当日遼佑くんが「塾に行ったきり戻らない」ため110番通報。

警察が自宅の向かい側にあるメーターボックス内で遼佑くんの遺体を発見。

19日夜、警察は死体遺棄容疑で義父の無職新藤悠介容疑者を逮捕。

警察の事情聴取で殺害動機を「本当の親じゃないと言われ」「腹が立った」と伝えているようです。

マスコミは「本当の親じゃない」というキーワードにのせてこの事件の記事を乱出しています。以前より相変わらず、この手の事件に関してテレビのワイドショーに登場する著名な出演者の意見は世論に対して強い影響力があるように思います。ただ、殆どの記事がこの事件の解明に役立っているとは思えません。

実際の報道の中で、AbemaTIMESの報道が最も的確に犯行に及ぶ心理を捉えているのではないかと思うので、参考までにリンクしておきます。→突発的な犯行は“葛藤殺人”の典型例」小4男児殺害事件を臨床心理士が分析

この事件に対するネット上の反応は?

マスコミは「本当の親じゃない」というキーワードにのせてこの事件の記事を乱出していますが、ネット上では、ほぼ予想通りの反応で埋め尽くされています。「本当の親じゃない」という言葉は、犯人を憎み、そのアイデンティティーを蔑むことを可能にし、事件を自分の日常と関係ない世界へ運んでくれる、免罪符であるかのようです。

2018年3月、目黒の5歳児(結愛ちゃん)虐待死事件、2019年1月、千葉県野田市の小4女子(栗原心愛ちゃん)虐待死事件と続く中、ネットを含めた世論では児童相談所を筆頭に、教育機関や警察も含めた支援体制の問題点をことごとく批判しました。また、残虐な虐待内容に対しても、なぜそのような事が出来るのか信じられない、すなわち、信じられない程残虐な「悪魔」のような人格を隠し持っている人間であるように結論づける人が多いように感じました。

もう一つ、目黒の事件では加害者の船戸雄大容疑者は義父でした。一方の千葉県野田市の栗原勇一郎容疑者は実父でしたが、ネット上には、「実は妻の連れ子で実子ではないのでは?」「実父かと思っていたけどその後の報道をみると継父っぽい」「鬼畜による継子虐待殺人」など(血の繋がりは明らかでないが2011年心愛ちゃんが2~3歳の頃、この両親は一度離婚し、6年後に再婚、その後次女を出産しているとのこと)。

事実が定かでない中で、残虐性を納得するための要因の一つに「血の繋がりのないこと」を期待しているかのように思えました。

そのタイミングで今回の「本当の親じゃない」ことが殺害理由とされている事件が起こりました。

ネット上では「再婚相手に連れ子が殺される」という事が「あるある」という反応で、認識される現実を垣間見ることが出来ました。

単純に考えて、血縁があろうとなかろうと、子どもを殺していいはずがない訳です。

しかしマスコミ及び一般視聴者は、新藤悠介容疑者が無職であったこと、出会いがネットであったことも含め、様々な憶測が飛び交う中、やっぱりな、と落ち着くところに「血の繋がり」を持っていきたいようです。

少なくとも継父(婚姻関係がない同居の男も含め)、「ステップファミリーは虐待のリスク要因」という説を強化することに貢献する事件ではないかと思います。

(捕捉しますが、今回の事件は虐待事件ではなく、殺人事件です)

付随して、この母に対しても、悠介容疑者と再婚した理由について、セクハラに近いバッシングが起きており、ひとり親支援への偏見づくりにも貢献してしまったと思えます。

いずれにしても、このサイトがサポートする「中途養育者」にとって、都合の良い事件とはいえないものとなっています。

中途養育者サポートネットとは?

ここで、このサイト「中途養育者サポートネット」について若干の説明をさせてもらいます。

この『中途養育者サポートネット』というサイトは、

なんらかの理由で子育てを引き継いだ親族,子連れ再婚(ステップファミリー)による継親,養親,里親となった方等, 赤ちゃんの乳児期,愛着形成期の中途,若しくは後より養育に携わることになった当事者が,お互いに補い,助け合える社会を築くことを目的としたコミュニティ ネットワーク推進活動のページ。

として、2010年ごろより私が暫定的管理者として立ち上げたサイトです。

参考:中途養育者とは

元々、中途養育者という言葉は、私の知っている限りでは認定NPO法人児童虐待防止協会理事・津崎哲郎氏が毎日新聞の記事(2010.4.10)「虐待死 なぜやまない」 野沢和弘氏による「ニュース論争」文中、当時花園大学教授であった津崎氏がこの「中途養育」という言葉を用いていたのが最初です。


里親家庭・ステップファミリー・施設で暮らす 子どもの回復・自立へのアプローチ――中途養育の支援の基本と子どもの理解

今から10年近く前の話になりますが、当時私はステップファミリーや親族が子どもの養育を肩代りしている場合にも、里親同様の研修を受ける機会を貰えないだろうかと考え、児童相談所に連絡をしました。

先方の答えは「何もありません」の一点張りでした。(しつこく粘ってアン基金プロジェクトというNPOがあることを教えてくれましたが…)

それ以来、公式(里親、児童養護施設職員等)であれ、非公式(親族、ステップファミリーなど)であれ、中途からの子育てに携わる方々は通常の子育てとは違った独特の大変さがあるという考えに基づき、その支援を受ける事が出来ない人たちのためには体制を独自に作っていく事が大事であると考え、今まで細々と活動してきました。

しかし、先にも書きましたが、ステップファミリー(血の繋がりのない養育者)は虐待のリスク要因として挙げられて(期待されて)います。

我々が声を上げる事は社会的スティグマ(差別対象としての烙印)を自ら背負うのと同じです。現実社会は甘くないのです。

中途養育者に対するサポート体制は広がりません。多くの当事者は「自分は大丈夫」と考えます。困窮したら「子どもを取り上げられるかもしれない」という事を怖れます。

多くの中途養育者には「扶養義務」はあっても親としての「権利」はないからです。

ステップファミリーは虐待のリスク要因なのか?

先ず、私はステップファミリーを含む中途養育者は通常の子育てとは違った独特の困難を抱えている事が世間一般に理解されていないこと、それを改善する必要があると思っています。その上で、ステップファミリーを含む中途養育者が、虐待のリスク要因となりうる事も理解しています。ただし、虐待要因と短絡的に考え家族を「監視」することによって、良い効果が得られるとは考えていません。中途養育者は「血が繋がっていなければ愛せない」という根強い実親規範によって弾圧される身の上です。

ステップファミリーは(なんらかの理由で)離散した家族に関わり、(実子以外の子育てに関わるという)向社会的活動に携わることになります。本来やらなくても誰からも咎められる筋合いのないことですが、やったとして、褒められもせず、「好きでやってるんでしょ」あるいは「判ってて始めたんでしょ」と、周囲の関係ない人たちからは認識され、「変わり者」もっと穿った見方をすれば「何か裏がある」とまで評されるのが現実です。

中途養育は一般的な子育てマニュアルには載っていない経験に対して、学習が必要です。しかし、公的にそれらを支援する機関は存在しませんから、自分でどうにかしなくてはいけない、いずれにしても気軽に出来ることではありません。

自分はステップファミリーの親族の子を引き取るにあたって、その難しさを実感し、子どもたちの最善を考え様々な機関をあたりましたが、この国には元々、実親との別離によるトラウマを抱えた子どもと向き合うために必要な知見をえるために必要な支援の仕組みが何もない、現実に直面しました。自分はそれを補うために児童心理や発達を学べる大学に入り直しました。里親子支援のアン基金プロジェクトSAJ(ステップファミリー・アソシエーション・オブ・ジャパン)など、民間のNPO団体と繋がり、未だ何処にも存在していないと思われる「親族による代替養育」のあるべき姿について、独自に模索しました。

しかし、それらの事が誰にでも可能なことでしょうか。膨大な費用も時間も含め、自分はある程度恵まれていたといえるでしょう。一般家庭では(さらに困難を抱えた家庭であればなおさら)同じような事は出来ないでしょう。

つまり問題なのは、「ステップファミリーになること」自体にあるのではなく、「なんとなかる」と頑張り始めた当事者が、実親規範の強い日本社会において、支援体制が全くない中で孤立し、困窮するといった負のスパイラルに陥っていく事が問題なのだと思うのです。

本当の親じゃないといわれてどう思うのか?

今回の事件において、「本当の親じゃないと言われ」「腹が立って」「殺した」という事のようですが・・・

自分の経験でも「本当の親じゃないくせに」という言葉を受けたことはあります。一度だけではありません。

もちろんそう言われることはショックです。子ども側もそういわざるを得ない事情があります。実際に親でもないのに、親のように高圧的であれば、売り言葉に買い言葉、ケンカの封切になる言葉として機能してしまうのです。怒りに任せて殺意に近い感情を覚える人もいるかもしれません。

ただし、それで、殺人を実行する人はいません。当然です。

私の知っている中途養育者全員に言える事です。本当の親じゃないといわれてかっとなって殺す、のは「あるある」ではありません。

腹を立ててもじっと我慢するのが「中途養育者」の「あるある」です。

また、一般的に、親の立場からすれば実親のようになろうと頑張っているのに「親じゃないくせに」と言われれば心が折れる、と考えがちかもしれません。確かに心は折れます。しかし、「親じゃない」のは事実です。「親になりすます」事は本来、中途養育者はするべきだとは思いません。

私は中途養育者は「社会的養護」の立場、つまり「児童養護施設職員」と同じ立ち位置だと思っています。「里親」の一部の方は、実子同様に育てたいと思っている方はいると思います。しかし、中途養育者サポートネットでは「保育者」や「教育者」と同様(仮に非公式だとしても)社会的に公の立場で子どもに関わる前提の覚悟が必要だと思っています。実の親を目指すべきではありません。多くの場合、実の親は、この世に「実在」するのです。仮にこの世にいないとしても、嘘を通すことは子どもの権利に反すると、我々は考えるのです。

子育てには実の親子関係(に類似した関係性)が必要なのか

もちろん、子どもが健全に育つ上で、施設養護より、家庭(的)養護であるべきだと思います。職員のシフトによるシステマチックな施設養護よりは、同一人物に監護されるべきなのは難しい理屈がなくても理解できるでしょう。子どもは家庭で養育に携わる者から様々なことを学ぶのです。子育てには実の親子関係(に類似した関係性)が必要だと思います。

ただ、一つ断っておかなくてはいけないとすれば、どんなに頑張っても「実の親子にはならない」という事です。なる必要もないと思います。実際に「実の親子のようになる事を」夢見る中途養育者がいる事も知っています。そこをゴールとして頑張る事は、少なくとも子どものためにはなりません。



今回の事件から~我々は何をするべきか

今回の事件において、義理の父である進藤悠介容疑者は「本当の親じゃないと言われ」「腹が立った」ことをほのめかし、マスコミはそれが殺人の動機であるかのように報道しました。先にも書きましたが、本当の親じゃないと言われて殺人を犯して良い訳がないし、そのような事は中途養育者に許されていません。しかし、中途養育者が虐待のリスク要因として期待されている事は事実であり、中途養育者特有の養育困難が解消される事が、虐待予防という観点から見て必要であることは明らかでしょう。

それと、前出の津崎氏が10年近く前から言っている事「中途養育者には教育が必要」という事を、あらためて熟考していく必要があると思っています。

それがDV親や虐待者を矯正するプログラムなのか、里親研修のように認可に必要なプログラムと同じでいいのかは判りません。養育困難に陥っていてもDVや虐待をしていないのなら、矯正される筋合いはないし、ステップファミリーや親族は非公式な養育なので(非公式という言い方も良いのかは判りませんが)認可などと上から目線で言われる筋合いはありませんから、既存のプログラムを参考にしたとしても新しい枠組みで作られるべきだと思います。

しかし、この国には家庭が困窮する前段階での「予防としての取り組み」が圧倒的に不足していて、参考になるプログラムが見当たらないのです。

自分はカナダで開発された児童虐待予防のためのプログラム「ポジティブ・ディシプリン」が中途養育者を支援するプログラムとして機能するのではないかと考え、数年前よりその普及に関わってきましたが、おそらくファシリテーターの養成も含めて相当な時間がかかることが予想されます。

施設職員や里親とは違って、「非公式な中途養育者」は学ぶ機会がありません。せめてその「学びの機会」に国家予算のほんの一部を割いても良いのではないかと思います。先ず、予防としての「中途からの子育てに関わる学び」の仕組みを検討するべきだと思います。目黒の虐待事件を受けて東京都の小池百合子都知事は「児童相談の人員や予算を優先的に措置」すると表明しているようです。中途養育者に学びの機会を作る事は、おそらく児童相談所で働く児童福祉司を増やすよりは全然お金はかからないと思われます。

もう一つは、当事者組織の確立です。

里親、施設職員、またはステップファミリーという枠組みでの自助団体は存在する事を知っています。しかし、中途養育者という枠組みでの当事者活動は、おそらく当サイト以外には存在していません。我々はLGBTの子育てにも中途養育者がいることを知っているし、週末里親やファミサポなど一時的保育者も中途養育者と考えています。

それぞれの役割は同じではないでしょう。でも子育てに関わる共通の知識や見解などは共有されて然るべきだと思います。

以前、里親子支援のアン基金プロジェクトにおいて、「里親メンター」という制度がありました(実は我が家庭も、里親ではないですがその制度の利用者でした)。たしか日本財団の助成事業であったため、残念ながら現在はなくなってしまった(はず)です。

当事者が当事者に寄り添う仕組みとして、私はその後、地域活動の中で、ペアレントメンター(発達に課題を持つ親によるメンター活動)の立ち上げに関わりました。

今、やるべきなのは、ペアレントメンターの概念を広げ、その中に「中途養育者メンター」を内包していくことではないかと思っています。

中途養育者は地域的に少なからずいるはずです。ただ連絡をとる機会がないだけです。多くの中途養育者は自分たちの経験が社会資源になるとは思ってもいないし、自分たちが遭遇した困難は(恥ずべき事として言い辛いと考えたとしても)なんとか乗り切ってきたことは、これから同様の困難を抱えるであろう人々にとっては勉強になるという認識もないでしょう。しかし、それらの資源を有効活用することが可能になれば、追い詰められ、困窮している家族の救いになることが出来ると私は信じています。

そういった機会を作っていく事こそ、今から私たちが取り組んでいくべき事ではないか、そのように感じています。

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