西東京市の中2長男自殺事件に関る継父への考察

多様化する家族に関る認知の問題

先日、NHK特報首都圏のディレクターさんより電話がありました。

西東京市で中学生が継父の虐待の末に自殺した事件をきっかけに、悩みを抱えるステップファミリーの取材をしているとのこと。
番組は、9月12日放送予定とのことでした。
http://www.nhk.or.jp/tokuho/
元々この事件に関しては書こうと思っていた部分がありましたので受けはしましたが、大した話が出来なかった気もします。

何を話したかあまり覚えていないのですが・・・

前回書きました、長崎、佐世保 女子高生殺害事件
いずれにしもてこの比較を、説明しようと思っていた部分もありましたので。
(その後、キーボードに向かう余裕がないまま、時間が経過してしまいましたが・・・)
良いきっかけかもしれませんので、再度、少々考えてみたいと思います。

先ず、この西東京で起きた自殺事件を語る前に、この事件が何故、幾多もの事件よりも「注目度が高かった」のか、このあたりを考えてみたいと思います。
自殺に関しては年3万とも、10万超とも言われているようです。
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/
↑こちらは内閣府の自殺の統計ページです。
いずれにしても、少ない数ではないですし、ニュース番組等で報道されていない自殺はかなりの量に上るでしょう。

それらのことを踏まえて、いわゆるマスコミ各位がこれら報告のあった自殺を並列に並べて、記事を作っているのではないことを、多くの皆さんは重々承知していらっしゃると思います。

つまり、「注目」される記事とは、なんらかの「注目点」が存在する、そういう考え方でいいのかなと。

この事件には「注目される点」が大きく、2つあったと私は思っています。

一つには、いじめによる自殺ではなく、虐待による自殺であった。
一つには、その虐待をしていた父親が、実親ではなかった。

ざっくりとまとめれば、この2点ではないかと思われます。

先ず、「いじめによる自殺」ではなく、「虐待による自殺」が何故、注目されるのでしょうか。

過去に報道された「虐待による自殺」を、思い出してみてください。
さて、思い出される事件はありましたでしょうか。(もしあったら、こっそり私に教えてください)

たぶん、多くの方は、あまり思いつかなかったのではないかと思います。
「虐待による」「自殺」は(ありえないという意味ではないですが)一般的ではありません。

なぜなら虐待は「加害」だからですよね。

このあたり、書き方にもよるので、御幣があれば謝りますが・・・既定の心のロジック的には、「虐待の行く末」に起こるのは「殺人」であると、思われているのではないでしょうか。

もちろん、そこまで到らないとしても、方向性として家庭内で「死ね」と言われて、死んだとしても、自殺とは処理されないんじゃないか、そんな気はしないでしょうか。

それに対して、「いじめ」による「自殺」は一般的に、納得できるかと思います。
もちろん、いじめが発展して殺人となる場合(殺すつもりはなかった、などに集約されるような「事故」として処理されがちな事例)も少なくないでしょうけど、逃げ場を失って自ら命を断つ事例は多いと思います。

「いじめ」と「虐待」の違いは、なんでしょうか。

一般的に、「いじめ」は学校で起きる、同級生や上級生、若しくは先生等の「複数の他人から受ける」攻撃と認識して良いのではないかと思います。
それに対して、「虐待」は、一般的に家庭内、広義に捉えても施設、自衛隊等、内々の「閉ざされた空間で生じる」攻撃と認識されていると思われます。

今回の西東京の事件ですが、家庭内で起きていて、血の繋がりはないにしても、父親と表記されているあたりから中学生の実母と婚姻関係にあったと思い ますし(難しく言えば、親同士が法的に婚姻関係を結んでいても、個々の子どもとも養子縁組していなければ、法的な親子関係とはなりませんから)養子縁組さ れていたのではないかと思いますし、報道はそれらの事実関係を調査した上で、「父親」という表記にし たと思います。

これも、「一般論として語ってはいけないのかもしれませんが」と前置きした上で、誤解を恐れず言い切ってしまいますが、「虐待による自殺」が納得できる理由付けとして、血の繋がっていない「継父」による、不適切な養育の実態があったとして、一般的に認識しようとしている・・・
私が感じる違和感は、このあたりに繋がってきます。

もちろん、この事件を読み聞きしても継父ということに気づいていない人も多く存在するでしょう。
その興味の薄さも重々、感じている部分でもありますが、それについては、今回は多くを語りません。

 

さて、ここで、加害者と被害者、心の動きというものに着目してみましょう。

一つは、虐待を受ける人間は、虐待者をどのように思っているのか。
一つは、いじめを受ける人間は、いじめる者をどのように思っているのか。

この2つはほぼ、同じではありません。
虐待において、被虐待児は、虐待親に対する、一種の「忠誠心」のようなものを持っているように思えます。
これは虐待がエスカレートする原因でもあるのですが、多くの場合において、子どもの方から自殺のような行動を起こしません。それゆえに、何か変化が起きるまで、親は虐待を続けてしまいがちです。

一方のいじめですが、これは虐待の場合と違うのは、当事者の繋がりの薄さと、関る人数です。
いじめの場合、複数の他人がよってたかって一人を攻撃することで成り立つことが多いように思います。
この「いじめ」という行為の多くは、大変他力本願的であり、自らが何かを成就させようというものではあることは殆どありません。
いじめられる人間は不特定多数の加害者から逃れることは難しいし、立ち向うことも難しいので、選択肢として、「自殺」を選んでしまうことが少なくないのだと思います。

ここで「虐待」と「自殺」は、連想の上では同じ「負」のベクトルを持っていますが、通念的にあまり、繋がりの良い単語ではないことがなんとなく、わかったのではないかと思います。

その一見矛盾している2つの概念を繋ぐために必要とされたのが、この父親の「血が繋がっていない」という事実でしょうか。

(いじめに出てきた「複数の」という点においては後ほど再び触れます)

さて、今回の事件ですが、実際のこの「継父」の立ち位置を、「中途養育者をサポートする」立ち位置からどう評価するのか、私の発言に何か意味があるとすれば、結局はここに集約されるのでしょう。

私に言えることはそれほどはありません。
勿論、私自身が実子ではない子育てを経験していますので、ここから生じるストレスは生半可なものではないことは語れます。
また、多くの当事者が同様の気持ちを持っていることも経験上知っていますし、それを伝えていくことも仕事のひとつだと思っています

私は何度もいうのですが、「多くの中途養育者は何の得にもならない子育てをしていて、どちらかといえば虐待予防に貢献している」のであって、一部の 中途養育者が、その一線を越えてしまったことが、他の中途養育者を色眼鏡で見ることに繋がるのは、避けてもらいたい。

しかし、多くの中途養育者が、その育児のストレスを発散することも出来ず、溜め込んでいる、それは不適切な養育に繋がる可能性を否定するつもりはありませんし、これを避けるために社会的な支援策が必要だとも思っています。

ここで、先ほどの「複数の」という点に、再び触れたいと思います。
中途養育者は何故、これら「負のスパイラル」から逃れることが出来ないのか?ということに繋がってくると思われるからです。

「自殺しろ」と言ったのは継父かもしれません。
しかしそれを実行したのは、複数の人間がそれを「容認した」と本人が捉えたからかもしれません。
先ず、「容認」したのは実母や兄弟など、家庭の中の同居者かもしれません。
また、地域、学校、行政などサポート出来る部分が、十分にされていなかったため、そのように判断したのかもしれません。

もちろん、単なる仮説なので、事実は私にも判りませんが・・・

サポートが十分にされなかった理由が「中途養育者だから」だったとしたら、どうでしょうか?

一般の養育以外に関ったことのない方は、この事件を起こした「中途養育者」に対し、どのような既定の概念を投影していたのでしょうか。

扶養者の替わりなのか、養育費を払う人間なのか、あるいは「パパ」として愛情を注ぐことを当然のように望むのか。

ここで、子どもの立ち位置の話をさせていただきます。

親との離別を覚えている子どもの立ち位置には通常、「パパ」として別の人間(実親)が存在しています。
(いい親、悪い親の問題ではなく、生きている、死んでいるの問題でもなく、事実として)

その存在を、否定する権利は、誰にもありません。
元々婚姻関係にあったパートナーにおいても、です。

誰に愛情を持つか持たないかの問題でもないです。

この事件をおこした「継父」は、一般的な「父親規範」に縛られていたかもしれませんが、
それに縛られていたとしても、逃げ場がなくなったら虐待していい訳ではありません。
ですから、事件を肯定はしません。

しかし、このような事件を減らすことは社会的に出来ると思っています。
(これが長崎の事件との大きな違いです)

実母も含めた社会全体が、この継父を親規範に縛らず「ひとり親家庭を援助する」一人の奇特な社会貢献者として支援していたら・・・

事件が起きなかった可能性もあると、私には思えます。

(もちろん断言は出来ません、あくまでも可能性としてです)

まあ、私がいいたいことはこれくらいですが、ほぼこんなに喋れていなかったので(^^;

放送とは別に・・・一応、書き留めておきます。

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