ここで、個人のコンボイ・モデルの定義が本人と社会的視点からは異なっていることを想定してみましょう。
図 コンボイの仮説的な1例
(Kahn,R.L.et al. 1980より)
参考:ライフコースにおける結婚の意味 嶋崎尚子 公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会 情報センター HPより
※コンボイ・モデル(convoy model )とはKahn&Antonucci (1980)が文化人類学者 D.W. プラースの考え方を継承し、個人のネットワーク構造を表すために用いられています。コンボイとは本来護衛艦のこ とで、船が船団を組んで航海するとき、戦艦が周りを何隻もの護衛艦にかこまれ、守られているイメージです。以前、「コンボイ」という題のトラック軍団の映画がありました。
この、「護衛艦」に相当する周囲の人たちが、子どもから見たコンボイと、実親から見たコンボイ、代替親(中途養育者)から見たコンボイ、また地域、社会的に見たコンボイ・モデルは一致するとは限らない訳です。
むしろ一致していない場合が多いかもしれません。
それはコンボイに所属する役割を、代替するのか、あるいは、そのまま残し、別の役割として所属するのかという、単純なルールが定義されていないために起こるのかもしれません。
例えば母親と継母は本来、別個の関り手として子どもからみたコンボイには存在するはずでしょう。
しかし、父親からみたコンボイには実母親の存在を抹消し、継母を「代替母」として入れているかもしれません。
また、社会は元々「2つの母親」の存在を知らないかもしれません。
継母の立場では2つの選択肢が考えられるでしょう。つまり、代替を「容認」するか「拒否」するかです。
子どもの立場からすれば「母親は誰なのか」が父親、社会、継母、それぞれの立場により意見が食い違う訳で、選択肢としてはより多くのものとなるでしょう。
具体的には、「実母役割を容認した継母」を実母と「受け入れる」のか、「拒否」するのか、または「実母役割を拒否した継母」を「受け入れる」のか、「拒否」するのか、です。
また「実母役割を容認した母親」を「受け入れた」として、その際に実母をコンボイ・モデルのどこに置くか、そのような難しい選択は、子どもの自由意志に委ねられている訳です。
トンプソンは同著の中で「愛着理論の中にこれらの多様な(時には矛盾した)見解が共存しうるのは、ボウルビィの『内的作業モデル』の概念がヒューリスティックな意味で刺激的で、また、いらだたしいほどにあいまいなものであるため」としています。ヒューリスティックとは必ず正しい答えを導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い答えを得ることが出来る方法です。
そもそも人はなぜヒューリスティックな問題解決を好んで用いるかといえば、ひとつの概念を再利用するほうが便利だからです。しかし、そのヒューリスティックな問題解決から正しい結論を導けないとなれば、それは勇気を持って改変していかなくてはならないでしょう。
しかし、今まで使用していた概念を棄却して、正しい問題解決の概念を導き出すことは、それなりに大変な作業を伴いそうです。。
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