わが国の家族の形態は高度経済成長期を経て、大きく様変わりしてきたといえるでしょう。
かつての夫と専業主婦に子ども2人という「標準世帯」はいまや多数派ではなく、共働き世帯、単身世帯が増加し続けています。
また、これまでの核家族化の帰結として、高齢者夫婦のみ世帯、更には高齢者の単身世帯も増加しています。
地域での活動の主力であった職住近接の自営業者・農家や専業主婦は減少しています。
自治会の役員や民生委員を引き受けてくれる人を見つけることも難しくなっていると聞きます。
地域との関わりを避ける住民が増え、住民同士の近所付き合いも減少しています。
都会ではもともと地縁もなく親族も近くにいないという人も多いのが実情です。
高齢化が進む地方、商店街にシャッター通りが出現し、コミュニティの維持自体が困難となるような限界集落も発生しているとか。(以上、平成23年度厚生労働白書より)
多くの人が、それらの変化については、よく理解出来るのではないでしょうか。
しかし、中途養育者を取巻く環境については、どうでしょうか?
中途養育者はその役割についてタブー視され続けており、それは未だに社会的認知の妨げとなっているのではないでしょうか。
当事者がその損な役回りを受け入れざるを得ないのは、一つにはマイノリティに対するネガティブな意識があると思われます。
しかし、中途養育者は実際には少なくないのです。
平成21年婚姻件数約70万組のうち、4分の1は再婚であるといいます。
そのうち子連れ再婚が何組かは統計データがないため判りませんが、決して少数とは思えません。
そのような現状で、今まで中途養育に携わる人々が自らの声を社会に届かせることが出来なかったとすれば、その要因としては「中途養育」を向社会的行動と捉えきれていないからだと思います。
マスコミ報道などの影響で、「中途で養育者が交代する事象」自体が、虐待要因として期待されている現状を変えていかなくてはいけないでしょう。
いずれにせよ養育形態による不公正によって子どもの発達に格差があってはならないとすれば、養育者が交代する、しないに関らず、「子育て支援は恒常的に行われなくてはならない」のです。
それを自らの立ち位置に起因する困難を要因とした不平等は、社会的に改善されなくてはならないし、中途養育に独自のスキルが必要とされるなら、それを受けられる仕組みを作る必要があるといえるでしょう。
望まれるのは胸をはって中途養育を行える環境作りではないでしょうか。
その環境を社会的に整備することは早急の課題だと思います。
また、今回の研究で答えの出ていない、様々な養育困難に起因すると思われる課題をひとつひとつ解決していくことは、継続して求められることであって、忘れられていいことでは決してありません。
「自分には関係ないから」
この言葉の重さを、「関係のない方々」に持ち続けてもらうことが、最も大事なのではないでしょうか。