愛情過多理論の前に愛着の定義について

「愛情過多」理論に関して書くといったのは地震の前でした。
その後、精神的余裕がなくなり、(ついでに約束も忘れ)放置したままになっていましたが。
前回、100円バーガーなど、例えが適切でないと不快な思いをされたかたもいたかもしれませんし(汗)
真面目に書きましょう。
これを卒論のテーマにするとは言いませんが(爆)
元々私がいい年して大学で何勉強しなくてはいけないか、という問題の一つでもありました。
実際には勉強についていけず、息も絶え絶えなのは置いといて(汗)
ようするに、今回の日記は難しいと思います。
途中で眠くなる可能性もありますので、そういう場合は最後の結論まで飛びましょう(^^;; ヒヤアセ
また、これの草稿を書いたのも実は震災前で、時期が経って読み返してみると、まだ前置き部分に触れている段階であり、愛情過多理論まで到達していないので、「愛情過多理論の前程条件としての愛着の定義について」と致します。
既に長いですし、たぶん今回書き終わらないので、そのつもりでお付き合いいただければ幸いです(^^;; ヒヤアセ
私は引き取る前から妻の弟の子(姪と甥)の発達が遅れていることに気づいていましたが、その範疇はさほど問題がないものと考えていました。
引き取って、同居するようになって、初めて、「普通」じゃないことを実感したのです。
(多くの継母さんにはこの感覚に経験があると思います)
私は発達障害を調べました。
その間に、発達しょうがいの診断を受けている継子の世話をしている、多くの継母さんのブログの存在を知ったのです。
この高い確率は、発達しょうがいではない、ズバリ書いてしまえば「医師の診断ミス」であることをなんとなく察しましたが、それを何処に伝えればよいのやら。
そういう場合、自分で、独学で調べるしかないです。
そして、「反応性愛着障害」という(精神疾患名)を知るに至った訳です。
この疾患は発達障害に関わるPDDやADHDなどと同じように、DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引 (医師が診断に使う本)に書かれています。
私の知っている範囲で、日本で始めて広めたのはヘネシー澄子先生であり、継母さんで最初にヘネシー先生の著書を紹介したのは(元倶楽部員。今、倶楽部内にはいませんが)ぞーうさんのブログだったと思います。
私はヘネシー先生の本を読み、その理論の尤もさと共に、なにか、違和感のようなものを感じた訳です。
後で、ヘネシー先生事体が愛着障害と言われる障害に関して、「その範疇では語れない障害」の研究に関わっていることを知るに至って、愛着障害は大きく誤解されていて、正面から研究をしている人がとても少ないことを知るに至る訳です。
その数はたぶん、継母を支援しようと思っている学者さんくらいの数?(爆)
殆どいないか、いてもメディアに取り上げられもしない、地味な世界というか。
だからこそ、「判っていて結婚したんでしょ?」なんて言われてしまうんですね。
脱線すると長くなるので・・・(;^^A アセアセ
そもそも「愛着」とは「アタッチメント」の和訳です。
皆さんは「アタッチメント」で何を連想されるでしょうか。
私は、電源コードの形状が違うときにコンセントに差し込めるように繋ぐもの、というような認識がありました。
あるいは、ライダーマンが腕に装着する武器・・・
私はボウルビィから派生したと思われる「attachment disorder」と、日本人が「愛着障害」という言葉で連想するものと、おそらくは同じではない、と思うに至りました。
関連資料:北海道医療大学の近藤先生講演「愛着理論の臨床適用について」
http://www.hitachi-zaidan.org/odaira/topics/docdata/topics71_02.pdf
いちいち読むの大変だと思うので(汗)
かいつまんで書くと、「愛着」というよりは「絆」であるだろうということです。
さらに書けば、愛着は「母から子どもに」与えられるものという訳ではない。
スキンシップでさえない。
昔、ウィンドウズがMS-DOSと言われていた頃、エミュレータという概念があって・・・なんて書くと眠くなりますか(爆)
ようするにアタッチメントは、愛着というより、連想どおりの「装着する」アタッチメントだということです。
つまり、「愛着」をその「愛」という日本語をつけることによって、この障害は大きく誤解されているのです。
「愛着」=「愛情」ではありません。
サルの針金マザーの実験などが誤解を産む部分のようにも思いますが、愛着(アタッチメント)とは心の拠り所というニュアンスより、しっかり着いている、ハマっているというニュアンスですよね
そして反応性(reactive)もまるで存在していないかのように、忘れられています。
何に反応するのか、ということですが、これはもう、愛着形成者、つまり「養育者」に対する反応の障害だということです。
で、反応って何か?というところで、「愛着(アタッチメント)」に関する反応性の障害だということなのです。
これでも判り難いかもしれませんが・・・ざくっと言うと、この子どもは全般的な発達しょうがいではなく、養育者に対する係りに対して障害を持っているということです。
ここまでOKでしょうか。
では、時間がなくなってきましたので次回につづきます。(^^;
「愛情過多理論」まで先が長いですね(;^
^A アセアセ

コメント

  1. ☆ウエッティ☆ より:

    OKです♪
    って、私が言う事ではない?(苦笑)
    私も愛着障害について、かなり勉強しました。
    穂高さんもご存知のように、
    まだ、ちいが小学生の頃、そういった障害の傾向があったからです。
    カウンセリングを受けていたのも、その理由です。
    私も最初は、愛着=愛情と捉えておりましたが
    この愛着障害を調べるにつれ、そうじゃないんだと知り
    今に至るのですが、こうして穂高さんのところへ来てまた再確認させて頂きました。
    【愛着(attachment )】=養育者(子供1人につき、親族等を含む大人が10人必要だと言われておりますが、ここでは実親である、実母、実父を指すのだと思います)
    【反応(disorder)】=反応性(reactive)は、養育者から受けたものへの反応、
    すなわち、暴力などの虐待や、精神的な虐待(ネグレクト)をされてきた子供たちは、
    一番身近にいる養育者(実母、実父)に対して、自分は、どう反応すればいいのかと悩み、子供は無意識のうちに嫌な事を忘れようとしてしまう為、養育者に対して、どう反応していいのか分からないままでいる。
    穂高さん?
    こんな解釈の仕方で良いでしょうか?
    もう少し続けます。
    で、この【愛着障害】について、ちいを診てくれていたカウンセラーの先生が言うには
    『実親との関係が、なめらかであったならば、こういった傾向は見られなかった』
    との事です。
    この事をカウンセラーの先生に聞き、私が旦那に問い詰めるまで、
    ちいがどのように育てられてきたのかを旦那は詳しく教えてくれませんでしたが
    これをきっかけに教えて貰いました。
    ちいは、実母からの暴力(首を絞められた経験アリ)、ネグレクトを受けて育ってきたのです。
    ただ、ちいのような経験を持つ子供であれば、ちょっとした事でも
    『あれ?おかしいな?』という気付きが、第三者であるものでも分かります。
    ですが…そういった子供は異例だと私は思います。
    ここで言っては申し訳ないのですが
    離婚、再婚をした家庭の子供は、
    やはり何かしら、そういった傾向があると思うからです。
    親の離婚によって、離別した親(養育者)の【愛着(attachment )】が途切れ、
    喪失感の元、新しい生活を始める。
    その後、再婚して継親ができるも、その継親との関係性をどうしていいのか分からず
    少しでも嫌な事があると、自発的に忘れる作業をする。
    これは、死別にも当てはまるような気がします。
    親が死んでしまった途端に【愛着(attachment )】が途切れてしまうから…
    と、ここまでは、私的な自論になりますが、離婚もせず、死亡もせず、
    両親共に健やかで仲良く生活していれば、この【愛着障害】ってのもないって事ですよね?
    両親共に仲良くなかったら、両親が揃っていてもこの障害になる可能性もあるって事も
    理解して頂けましたら幸いですが…
    で…ここからは、また私の継親的な自論なのですが、
    今まで、継子がどのような環境に育って、
    どのような養育をされてきたのかっていうのを正確に継親に伝えられず
    継親が、継子に対して、どのように接していいのか分からないで苦悩するんです。
    そしてこの言葉…
    >「判っていて結婚したんでしょ?」
    と周囲に言われ、継子のお世話が出来ない自分を責めてしまう。
    相手に子供がいるのは分かっているし、知っていても
    その子供が、どのように養育されてきたかなんて
    一緒に生活するまで分からないんですよね?
    継子の親族に聞いても、自分達がしている事は、正しいと思われがちで
    他人からしてみたら、間違っていた事をしてるとか、
    道理にあってない事をしてるとかあるけれど
    そういった気付きがないから、そのままの環境を維持するように求めてくるんです。
    けれど、継親は、養育者の一員になったのだからと
    必死で継子を正しい道へと導こうとする。
    その継子が大人になった時の事を考えてね…
    でも、継子にこの【愛着障害】があった場合、
    継親がいくら口うるさく注意しても継子にとっては嫌な事なので
    すぐに忘れようとしてしまい、言う事を聞いてくれない子、人の話を聞いてくれない子…
    と継親にはうつってしまうのです。
    継子が言う事を聞いてくれない、継子に何を言っても言葉が通じない…
    そう思い悩んでいる方も多いと思います。
    ですが、私は、そういった方に大きな声で
    「それは、貴方のせいじゃないんだよ?」
    と言いたいです。
    度々のつまり、この愛着障害ってものは、表に見えてこないケースもあるので
    見極めづらいというか、気付かないというか…
    酷いものでなければ、普段の生活の中で、どうにかなっちゃうものだと私は思います。
    なので、全ての継子達が愛着障害だと決め付けるのも良くないです。
    あくまでも家のちいには、そういった傾向があったので
    ここへ書かせて頂きました。
    穂高さん?
    長々とすみません~(汗)

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