岩手行って来ました。

旧SNS日記

久々に、某俱楽部に書き込んで来ました。半年振りくらい?
いや、いあんなあ~と思いつつ、文章が長くなったので、今度はそれをこっちにコピペします(^^;

以下、ほぼ内容的には同じような、です。

先日、岩手の里親会に呼ばれて、講演?をしに行ってきました。
里親子支援のアン基金プロジェクトで理事をされている日本女子大の和泉広恵先生のご紹介です。

東日本大震災で、大量の遺児が発生したことは皆さんご存知かと思いますが、一部の地域では親族里親制度を活用して、子どもの引き取り先を確保しています。
私は今回、その親族里親さん達に向かって、話をしにいった訳です。

行ってみると、確かに、なんだか判らないけどお金貰えてますって感じの高齢の方が数人、後は通常の里親さん、養護施設の職員さん、社協の職員さん、県の職員さん、その他職員さん?など総勢25人ほどでしょうか。

まあ、ある意味ドン引きの自己紹介をしてきました。
(内容はアップローダ参照ください)

息子夫婦を亡くし、孫を育てているおばあちゃんが、「私は刑務所入るような知り合いがいないから、びっくりしたけど、いろんな人がいるんだなや~いやいや大変だなや」って感じで、おっしゃられていたり、最高齢93歳の里親さん(里親として機能しているかは不明)はほぼ爆睡していたり、そんな中でのお話会でしたが(^^;

まあ、家族が不慮の事故で亡くなる悲しみの中、里親になられている方々と、じわじわと家族の問題がにじみ出てきてその後始末をする形で子どもを引き取った私とは、同じようでいて違う立場と言うか、どっちが慰めにいったのか判らないような、ある種のしらっとした雰囲気の中、お弁当を頂き、若干和やかになりつつあるか?というところで、終了。

盛り上がらないのでいいんですが(^^;

解散くらいになって、一人(この中では比較的若目の)女性が走りよって来て、ジェノグラムの説明を聞いた後、ご自身の今までの状況を話してくれました。

自分も妹の子どもを引き取って何の支援もないまま、いろいろな所にぶつかって、いろいろな地域に引越し、岩手に流れ着いて散々苦労したけど門戸は開かずだったのが、震災であっさりと、手のひら返したかのように世の中が変わって「支援の枠組みに入った」こと。
震災前は、私の状況と同じだったこと。

を、こっそり教えてくださいました。

2~3分くらいですが・・・そのために岩手まで行ったのかもしれないなあと、思いました(T.T)

まあ、80代の会長と前日日本酒飲みすぎたとか、専門里親(誤解を恐れずに言えば養育費が高額だけど大変な子)に関る話を聞き、里親さんも我々と同じだなあと思いながらも、でもお金貰ってるんだよね、とか、二日酔いの運転で会場まで言ったこと、帰り道和泉先生と新幹線の中で話していたことなど、いろいろありますが・・・

やっぱり、私もつい、面倒で書きこまなくなったりしていながら、いうのも何ですが(^^;

人間って喉下過ぎれば熱さを忘れるというか、次の人に自分が体験したことを伝えないで役回りから降りてしまうのが一般的ですが、やっぱりそれでは世の中はいつまでたっても変らないと思うのです。

と、いうことで、半年振りくらいにはなりますが・・・私は俱楽部を卒業はしませんので。

何かあったら、お声かけくださいm(__)m

今後とも、よろしくお願いします(^-^)/

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