真実告知について

02.Aさんという架空の事例を通じて

花子さんと太郎くんは同じ母親から生まれた兄弟であるし、義母の養子縁組という観点からは一見平等に見えます。

しかし、太郎くんには会ったことのない母親の違う兄がいて、その兄は花子さんとは血の繋がりはありません。

また、Aさんを中心にしたジェノグラムからは、義弟の元パートナー(元パートナーは2人います)の離婚後の生活を読み取ることは出来ません。(仮に、太郎君を中心に見た家計図と、花子さんを中心に見た家計図を作れば、家族としてのリソースが同じではないことが判ると思いますが、ここでは想像するに留めます。悪しからず)

ジェノグラム5Aさんはそのことについても、また花子さんと義弟の親子関係についても、真実を伝えていないということでした。

その理由についてAさんは「自分には伝える権利がないから」といいます。

「いつ伝えるのか、あるいは一生伝えないのか、それについても自分が決めることではありません。もちろん、子ども達は真実を知る権利があると思っています。しかし、私自身に真実を伝える権利がないのです。」と。では誰が真実を伝える権利があるのでしょう。Aさんは「親権者でしょう」といいました。「私は義母が行うべき養育を肩代わりしているに過ぎませんから、義母を差し置いて事実を伝えるべきではないと思っています。子ども達が受け入れられるのか、ということへの責任問題にもなります。」

義母は、なぜ、真実を伝えたくないのでしょうか。

「いつかは言わなくてはいけないという想いと、言いたくないという想いがあるようです。義母に責任があるとは思いませんが、義母は自分の息子が結婚に失敗して、孫を相手方に取られたという、複雑な想いがあるようで、その気持ちに対してはたぶん、納得のいく結論を未だに見出してないのでしょう。だから、その気持ちを日常生活の中に持ち込みたくないのだと思います。」Aさんの分析がAさんの義母の気持ちの全てを表しているかは定かではありませんが、結婚は双方の家族を巻き込むことであるから、離婚のトラウマも、家族を巻き込んでいると考えることはさほど不自然ではないでしょう。

しかし、血縁意識をつきつめていけば、Aさんの義母は、血縁関係にない花子さんと、血縁関係にある太郎君に対して、同じ想いとはいえないのではないでしょうか。

「それはあるでしょう。逆に、それが子どもたちを平等にしなくてはいけないという意識に囚われてしまう元なのかもしれません」と、Aさんはいいました。

いずれにしても「真実告知」に関しては、当人にとって真実を伝えることが良いこととは限りません。

ましてや「中途養育者」という養育への立ち位置からは、その「受容」責任を取ることは難しいといえるでしょう。

その後Aさんは通信制の心理系の大学に入学し、発達について独自に勉強を始めたといいます。

インターネットを介したステップファミリー等の「中途養育」当事者には、発達しょうがいや心理について独自に勉強している人が少なくないと著者も感じています。この関連性は、インターネットという「積極性のある方が書き込む」という特性を鑑みても、多いように思います。

この「独自性」について答えが出ている訳ではありません。

しかし、Aさんのジェノグラムのように、中途養育者の場合、家族の関係性が、「定型」の範疇にはけっして留まらないことから、安易に既存の解決策を導き出すこと自体に困難を伴うことが、一般家庭よりも多く存在している可能性が考えられます。

また、おそらく中途養育者による「障害受容の過程」は実親と同じではないでしょう。これを想像することもさほど難しいことではないように思います。

それはおそらく障害受容に当たって(血縁的、遺伝的に)自己劣等感(ネガティブな自省)に起因しないことにも関連していると思われます。

真実告知については、町田(2012)によれば、「ステップファミリー、里親、親族の約半数が、社会的に実子でないことを伝えていない」といいます。この事実は子育てにおける様々な困難を作り出していると思われます。

親族養育群について町田は「社会的偏見」を困難として挙げています。「傾向として、「恥」「決意」そして「責任(がとれない)」等のキーワードより、里親群とは逆の「望んだ訳ではないが止むを得ず」養育に関るものとして「困難の表明」を自主的に規制しているかのようにも感じられた。」といいます。

中途養育者が子どもについて真実を語る際には、養育形態・もしくは子どもと養育者の立ち位置関係によっても、そのストレスの感じ方が異なっているのかもしれません。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました