養子縁組

02.Aさんという架空の事例を通じて

その後、2人の子どもは義母の養子縁組となりました。養子縁組の理由は、義弟の失業から、保険証の使えない子ども達にに医療を受けさせるためだったそうです。

「自らの相続者として養子縁組を望んだ」という訳ではなかったようですが、数年が経過した頃、不幸にも義弟が事故で亡くなったため、結果的にはそういう形になってしまいました。

ジェノグラム4

子ども達の親権について、交流のなかった実母とも話し合いが行われましたが、実母は子どもたちを引き取れる生活状態ではありませんでした。

また、子どもが成長するにつれ、高齢の義母は実質的な子育てを行うことが困難になってきました。

そんな折、太郎くんの行動が学校で問題となり、保護者会において義母は養育を非難され、義母も体調を崩してしまいました。

その時には実母は音信不通で、何処にいるのかも判らなくなっていました。

そこで、Aさんは太郎くんを自らの居住する地域に引き取ることにしたそうです。

「兄弟を引き離すのは可哀想」という妻と義母の意向を尊重し、花子さんも同時に扶養することとしました。(5,4)

 ジェノグラム5

自らの世帯に引き入れた理由をAさんは「養育できなければ、施設入所ということになるかもしれませんが、マスコミによる施設内虐待の報道も知っていますし、施設入所が子どもにとって良い選択肢とは考えられませんでした。」といいました。

Aさんは三親等の家族における「扶養義務(877条第2項)」を考慮したのであり、Aさんによれば「家族として当たり前なこと」と考えた結果だったそうです。

ボウルビィ(1950)が挙げた代替案は先ず「養子縁組」であったように、Aさんも花子さんや太郎くんを養子縁組にしても良いと考えていたといいます。「私は子ども達が私たちと苗字が違ったら学校等で虐められるのではないかと思い、養子縁組にしても良いのではないかと思いました」

しかし、実際には養子縁組の話は進展しませんでした。その理由をAさんは「二人の子どもが苗字が変わることを嫌がった」ことと「相続の問題等を考えれば、養子縁組は一概に子ども達にとって有利ではない」といいました。

「苗字の認識」のような社会的関わりと子どもの自己尊厳において、また「相続」における損得など実質的な問題もあるので、一概に養子縁組を進めることが最善とはいえないのが現実なのだそうです。また、これらの状況から「養子縁組」は「養育形態の変更」とも直接関係がないこともわかるのではないでしょうか。


子ども達2人を引き取ったといっても元々部屋数が余っていた訳ではありません。

子どもたちが住めるように住居を改築する費用を捻出する為、当時給与所得者であったAさんは残業も進んで行っていたそうですが、結果的に子ども達の養育は妻に任せっきりとなっていたようです。

自らがリストラに遭遇して、再就職先を探す間、家事を手伝うこととなり、ここでAさんは初めて、妻の「中途から養育に係ることへのストレス」に気づいたそうです。

Aさんは以前、義母や子どもたちと同居していました。数年間のブランクで子どもたちは知らない部分で発達を遂げていたのでしょうか。

Aさんは「同居者であることと、養育者になることの違いに気づかなかった」といいました。愛着の問題かと言えば「それは勿論、娘と同じではありません。しかし姪も甥も、私たちを親とは思っていませんし、父母の愛着を求めてはいなかったと思います。しかし子ども達は娘に対して、嫉妬心のようなものがあったかもしれません。」といいました。

Aさんの実子は当初、義姉と義兄が同居することを喜んでいたそうです。しかしAさんは自分の娘が「おねえちゃんとおにいちゃんが来なければよかった」というのを聞いた際、気楽に養育を肩代わりしたことを後悔したといいます。

そして、養育を妻に任せきりにする訳にはいかないと思い、Aさんは自営業を始めることにしたのだそうです。

また、その際に、自らの扶養から妻を外し、妻を「主たる自営業者」としたそうです。(5,3)

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