-継母の困難-

01.過去の文献から中途養育を考える

実母の代わりに継子を養育する場合-ステップファミリー

ギャノン&コールマン(2011)は「日米ステップファミリー会議報告書」の中で、「日本のステップファミリーを取巻く社会的環境は20年前のアメリカのようである」といっています。

これは、日本は未だに「ステップファミリー」を取り巻く「社会的認知」が育っていないことを指摘しているといってもいいでしょう。

また「おそらく日本 特有のもの」と断わった上で「親」特に「姑」の関与を「アメリカには見られない特徴」として挙げています。これは継親のみならず、親族養育を含めた日本独 特 の家族の特徴を示唆しているようにも思えます。

同報告書内で菊池(2011)は、ステップファミリーになることで再婚した男性のストレスは減るのに対し、女性のストレスは結婚前より増えるという データを示しています。「継母の役割アイデンティティ」として、「母親の代役になるということが当然視されてしまう」ことを挙げています。継母役割アイデ ンティティのマトリックスとして、横軸に継母が自分を母親と思うか(母親)、あるいは別の何者かと感じているか(脱母親)、縦軸に家族境界は(核家族境 界)か、(拡大家族境界)かを置き、この組み合わせで出来る4つのタイプが変化していくパターンを5つ見出しています。

ステップファミリーに関してはその形態が様々であり、それゆえに養育に関る困難傾向を一言で表すことが難しいものとなっています。日本においてはステップファミリーが家族の一つのあり方として語られるための制度的な基盤が用意されてこなかったこと(野沢, 2006q&aステップファミリーの基礎知識 ? 子連れ再婚家族と支援者のために )、この現実もアメリカ等先進諸国とは異なるわが国独自の困難を生じる原因となっているかもしれません。

継母の困難

池田による「児童虐待の病理と臨床 (1979年) 」中の「継子いじめ?継母子関係」によれば、当時の「新聞記事から類推して虐待の多くは継母の継子いじめと受けとれる結論を出していた」といいます。西欧 における「白雪姫」や「シンデレラ」のような、わが国における継母をめぐる民話として、継母と同性の継子の話を四つ、異性の継子の話を三つ紹介し、それら の民話からイメージされる世界観を「継子いじめ的連想が、われわれの「聖なる母」幻想への防衛ではないか」としています。

これはデイリーらによるシンデレラがいじめられるほんとうの理由 (進化論の現在) とほぼ同じ結論を導き出している点で、大変興味深い考察といえるでしょう。

また、池田は自らの関った継母子関係の非行問題の治療事例12例中、1例を除いていずれも治療が中絶してしまったことに対し「これも継母の強い防衛 的態度によると思われ、継母子関係の難しさを痛感させられた」としています。この書には「強い防衛的態度がなぜ起こるのか」に直接触れていませんが、前出 の「継子いじめ」的連想といわないまでも、治療者側に実親子としての(母子に関る)認知バイアスがなかったとは言い切れないと著者には思えます。

著者が2004年から2012年までの間にインターネット上のブログやsnsにおいて知り合った中途養育者の多くは継母の立場の方でした。

一時期、ブログ開設ブームから日記として多くの「継母による中途養育の困難」が書かれた期間がありました。その頃、中途養育当事者はインターネット を介して繋がり始めましたが、それらの困難を綴った日記は一部の当事者の共感を呼ぶ反面、多くの否定的な書きこみも生み、「2ちゃんねる」に代表される掲 示板システムにおいて「継親子問題」に関するバッシング等の経緯から、多くの当事者は自らのブログを書込み禁止、もしくは閉鎖することとなってしまいまし た。

現在は登録会員のみが使うことの出来るsns(ソーシャル・ネットワーク・システム)でのやりとりが中心となっているように思えます。

守られた範疇での当事者会としての活動は、その「形態による当事者の範疇」であり、それはまた「共感による当事者の範疇」とは異なります。

オープンではないシステムの利用から、今日において中途養育者は以前より繋がり難い面も生じているように思えます。

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