何が困難なのか

02.Aさんという架空の事例を通じて

Aさんが関わってきた子どもや家族の関係性、社会的な枠組みによる困難や、様々な問題について述べてきましたが、この事例が「典型的な」中途養育者像を表すものではありません。

中途養育は「養育者が交替」するという時点で「非定型」な形態であるから、非定型な事例における標準偏差を取ることに元々意味はありません。

つまり、「典型的な中途養育者」を論じること自体、ナンセンスです。

この事例からは、

Aさんから見た「家族」と
Aさんの妻から見た「家族」は同じではないし、それは
義母からみた「家族」、
子ども達それぞれの立ち位置から見た「家族」

これら全てが異なることを理解するために紹介しました。

実際の「中途養育ならではの困難」はこの事例からはあまり見えてこないと思います。

しかし花子さんの家族足りうる「リソース」と太郎くんの「リソース」は、親、兄弟(となりえる)人的な量からしても平等という訳ではないし、Aさんの実子においても持っている「リソース」が異なることは判ると思います。

サポート資源としての家族を考えた際に、Aさん家族は子どもたちの衡平を図ろうと、意図的に「リソースを調整」しているように見受けられます。

これは家族システムのバランスを図るために個々の家族構成要員が「真実告知の有無」などによって、リソースの使用を制限している(あるいはさせている)ことも影響しているでしょう。ここでリソースの制限についての良し悪しについて議論するつもりはありません。

しかし、概念マッピングを「定型家庭」に合わせる過程において、部分的に歪みが生じていることが、養育の困難にも繋がってくると仮定しても良いのではないでしょうか。

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定型家庭としての概念マッピングから生じる疑問点:誰の子??

Aさんの家庭は、説明する機会がなければ、3人兄弟(全てAさんの子)と思われても不思議ではありません。しかし、子ども達の関係性を説明する機会がなければ、社会(地域住民)から見れば、いくつかの疑問点が生じます。単純な比較では、似ているか、似ていないかです。(これは偶然なだけですが)どちらかといえばAさんと花子さんは似ているような気がしますし、太郎君はAさんの妻に似ているような気がします。さらに花子さんと太郎くんは、Aさんの妻の旧姓を名乗っています。

参考:→チェッカーシャドウ錯視

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ここに様々疑問が生じるであろう事は想像することが出来ますが、そこから社会的に生じるであろう認知バイアスは、Aさんの家庭にどのような効果をもたらすのかは、ここではまだ、判りません。

では、ここからは「中途養育者ならではの困難とは何か」について、「質問紙による調査」の結果より考えてみたいと思います。

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