川崎市中一殺害事件について

多様化する家族に関る認知の問題

これの草稿を書いたまま、体調不良等の理由から中々書き上げられませんでした。

ただ、体調が回復傾向なのと(久々の投稿になることも含めて)若干の加筆を含め、アップします。

少々新しくない記事ではありますが、ご容赦くださいm(__)m

 

川崎市中一殺害事件について

アクセスの多いニュース報道について書くことは、宣伝の意味においても意義はあるかもしれません。
とはいえ、個人的にはニュース報道の後追いブログを書くことは、あまり好きではありません。
何故かといえば、ニュース報道に触れるからには、触れた責任もあると思っているからです。
根本的に、何かを批判するのは簡単ですが、「ではどうしたらいいのか」ここで間違っているのであれば、触れない方がまだマシかもしれない。
おそらく、多くの方も同じような考えを持っているから、多くを語らない。
ある種の負の連鎖かもしれませんが。

ただ今回、川崎市でおきたこの不幸な事件。
この事件に関してはネットの世界を含め、とても多くの方が強い関心を持っているような気がします。
そもそも、ニュースというのは生モノであると私は思っていて、私自身はこのニュースに関してのいくつかの固有の味覚刺激を感じていますし、それら一つ一つ にも触れることは出来ますが、それらのことを逐次検証していく行為自体が、事件に関っている当事者の方々の尊厳を傷つける可能性を含むとも思っています。
で、(私自身を含む)いわゆる良識ある社会の一般人と言われる方々は、いつもこういうことをそっとしておくことが、最良であると思い込んでしまって、何もしないことが習慣化してしまっている。
今回、私自身が重い腰を上げなくてはいけないと思う一番の理由は、何だろうか?と考えた際に、先ず思いついたことは、多くの人が、この事件の「落としどころ」を見出せていないんじゃないか、と思ったことにつながります。

※「落としどころ」とは(正しい、間違いは別にして)その事象に対してある種の解決方法を見出せたかどうか、です。ある種の解決を見出せれば、その事象は 「処理済」として忘却することが出来ます。それが処理出来なくていつまでも残るようだと、それは「トラウマ」に変わります。それを避けるために多くの方々 は早期解決を図る訳ですが、残念なことにその多くが間違った答えにたどり着くのも現実。まあ今回はそのメカニズムを語るために書いているのではないので、 このへんにしておきますが・・・

これら一つ一つの課題も決して間違っている訳ではありませんが、多くの事を含んでいるので、少し整理して考えてみる必要はあるのかもしれません。
先ず問題として、

少年法に基く問題
不登校問題
ひとり親を取り巻く問題
在日外国人問題
生活困窮問題

挙がっているのは、これくらいでしょうか。

また、私自身は、仮に主犯格のA少年が影響を受けたと供述したとしても「イスラム国」の関連には触れたくありません。
たとえ連日のイスラム国の報道が殺人の引き金になったとしても、ネットを含めたマスコミが悪い、で済ませる問題だと思わないからです。(マスコミを擁護するつもりもありませんが)
まあ、これを入れても、入れなくても、さほど結果は変りません。

大事なのは、「ではどうしたらいいのか」に、「自分はどうしたらいいのか」が入っているのか、いないのか、ではないかと、私は思うのです。

殺人はあった、それはとても不幸なことです。
しかし、その一線を越えたか超えないかが白か黒かなのではなく、これらの子ども達は(昔から)近隣に溢れかえっいる、そのことについて、われわれは元から諦めていたのではないか。

「自分には関係ない」

全て、「関係ない」と思って、日頃より事態を大事に考えなかった人たちが招いた事ではないでしょうか。
ただ、それらの誰かを見つけ責めて、終わっているようなブログは読みたくもありません。

先ず、自分の近隣、100mでも1kmでもいいけど、荒れている子ども達がいたとして、その子達が「自分とは関係ない」のであれば、今回の事件も、「自分とは関係ない」のでは?

そうでないとすれば、批判されるべきは、自分自身です。

私個人は、ひとり親、あるいは不登校問題に比較的近い位置にいます。
ですから、こういった部分でニュースになれば、ある程度、こういった関連の意見を述べなくてはいけないのかなあと思いますが・・・

仮に、ひとり親問題、不登校問題、といったカテゴライズを強化することに関れたとしても、私には問題が解決するとは思えないのです。

ここで重要なのは、元々様々なカテゴライズされた問題が複雑に絡み合っているのではないことです。

一人一人の関係性を説明しやすくするために分類(カテゴライズ)しているのに過ぎません。

そこで(自称)関係ない人々は、カテゴライズされた象徴的な(例えば社会など)が悪いと言いきれてしまう。

社会が悪いのであれば、そこに所属している自分の責任です。

「ではどうしたらいいのか」

皆で考えることは勿論重要です。

しかしその前に、自分自身がどの立ち位置を選ぶか、これはもっと大事です。

家の中だけなのか、親族も含むのか、家族だけ、自分だけなのか。あるいは自分が所属するカテゴリーの中だけなのか。

半径100mまでに区切るなら、そこから排除するのは誰なのか、あるいは、誰も排除しないのか・・・

「中途養育者」というカテゴリーはある意味、分類泣かせだと思います。

ここでは「社会的養護」と言われる行政支援と、扶養義務(つまり無支援)が、同じ分類になってしまうからです。

中途養育者は、カテゴリーキラーとして、もっと声を挙げて立ち上がっていいと思います。

少なくとも我々は、多くの人たちが「関係ない」で済ませていることに、関係しているのですから。

 

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